【世界遺産・興福寺】創建の歴史・建築の特徴をまとめて解説!ディープに楽しむ観光ガイド。




 

 

今回ディープにご紹介するのは、

奈良県奈良市にある世界遺産、興福寺(こうふくじ)です。

 

記事のコンセプト

興福寺は「すっきり解説シリーズ」でご紹介していますが

詳しく知りたい方向けに、興福寺の歴史・見どころや特徴をまとめました

 

興福寺の魅力や楽しさが、より深く感じられる観光ガイドです。

サクッと知りたい方はコチラをどうぞ!

【奈良・興福寺】歴史・見どころ・仏像 すっきり解説!アクセス・観光所要時間など。

2022-01-23

 

世界遺産「興福寺」創建の理由・歴史

創建年

669年(飛鳥時代)

 

創建者とその理由

創建者は鏡大王(かがみのおおきみ)
大化の改新で有名な中臣鎌足(藤原鎌足)の奥さんです。

669年、鏡大王が夫の病気が治るよう願い「山階寺・やましなでら」を建てたことがきっかけ。

山階寺は平城京へと移り、「興福寺」と名付けられました。

 

興福寺の歴史

興福寺ができるまで

669年 鏡大王(かがみのおおきみ)山階寺(やましなでら)を建てる
672年 藤原京へ移り、厩坂寺(うまやさかでら)と名付ける
710年頃 藤原不比等が平城京へ移し、興福寺と名付ける

興福寺が誕生したのは710年頃ですが、その前身となる山階寺は現在の京都府山科区に建てられました。

きっかけは、大化の改新で有名な中臣鎌足(後の藤原鎌足)が重い病にかかったこと。
奥さんの鏡大王(かがみのおおきみ)が、夫の病気平癒を願い「山階寺・やまなしでら」を建てました。

寺の中には中臣鎌足が造った「釈迦三尊像」が安置されました。

 

672年に藤原京(現在の奈良県橿原市)移し、地名から「厩坂寺・うまやさかでら」と名付けられます。

そして710年頃、今度は藤原不比等(藤原鎌足の息子)が平城京へ移し、「興福寺」と名付けました。

669年に創建されてから、京都(山階寺)→藤原京(厩坂寺)→平城京(興福寺)と、場所を2度移転しています。

藤原鎌足藤原不比等が創建に関わっており
藤原家と深い繋がりのあるお寺(氏寺)として栄えていきます。

 

興福寺が完成するまで

714年 藤原不比等が中金堂を建立する
721年 藤原不比等が亡くなり、元正天皇が北円堂を建立する
726年 聖武天皇が東金堂(とうこんどう)を建立する
730年 光明皇后が五重塔を建立する
734年 光明皇后が西金堂(さいこんどう)を建立する
813年 藤原冬嗣が南円堂を建立する

そうそうたる顔ぶれが、建立にかかわっていますね。
奈良時代になると興福寺は朝廷の役所となり、国が建立に関わるようになりました。

平安時代には廃れていく寺院が多い中、興福寺は藤原北家に手厚く保護されました。
奈良時代は四大寺、平安時代は七大寺の一つとされています。

興福寺は大和国の荘園のほとんどを所有。戦う僧侶「僧兵」を擁し、強大な力を持つようになりました。
また、藤原家の氏神「春日社」の実権も握ります。

興福寺は大きな寺社勢力となり、比叡山延暦寺と共に「南都北嶺・なんとほくれい」と呼ばれるようになりました。
※南都→興福寺、北嶺→延暦寺、当時の大きな寺社勢力を指す

 

興福寺完成後~現在

1180年 平重衡(たいらのしげひら)の南部焼討→建物が全焼
1181年 信円・貞慶が再建に向けて動き出す

再建と焼失を繰り返す。

1717年 火災で主な建物が焼失
1868年 神仏分離令により廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動が起こる
1881年 興福寺再興が許可される

1998年 「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録される

大きな勢力となった興福寺は平氏に対し反抗的な態度をとります。
そのため1181年、平重盛(たらいのしげひら)による焼き討ちにあいます(南都焼討)。

興福寺と東大寺は伽藍のほとんどが焼失。
その後も度々火災があり、そのたびに再建されました。

1868年には明治政府の神仏分離令により、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動が起こります。
※廃仏毀釈…仏を廃し、釈迦の教えを壊すこと。仏教を排除すること。

興福寺は領地を失い、僧侶は強制的に春日社の神職にされ、
興福寺と名乗ることも許されず、建物は県庁や役所として利用されます。
つまり廃寺同然の扱いとなってしまいました。

廃仏毀釈運動の波は明治時代の中頃には収まり、1881年(明治14年)から興福寺の復興がスタートします。

1998年に世界遺産に登録。
現在も興福寺の復興・整備が進められています。

 

興福寺の宗派

法相宗(ほっそうしゅう)

薬師寺と同じ法相宗です。
かつては清水寺、法隆寺も法相宗でした。

三蔵法師がインドから持ち帰った「唯識論・ゆいしきろん」が基になっており、
それが法相宗となり日本へ入ってきました。
※唯識論→この世の現象は個人の認識によって成り立っている

 

《興福寺観光ガイド》特徴・見どころまとめ

興福寺の観光する前に知っておきたい特徴や見どころを紹介します。

かつて興福寺には3つの金堂がありました。
中金堂(ちゅうこんどう)西金堂(さいこんどう)東金堂(とうこんどう)です。

西金堂は1717年の火災で焼失後、再建されていませんが
東金堂は1415年(室町時代)、中金堂は2018年に再建されました。
※2022年3月現在、中金堂は拝観できません。

伽藍の中心である「金堂」、古都奈良のシンボル「五重塔」は必見です!

 

また、興福寺は国宝指定の仏像所有数が日本一です。

かつて興福寺が所有していた仏像は、1180年の平氏による焼き討ちにより焼失。
運慶などの仏師が復興に携わり、その時作られたものが現在の見どころとなっています。

国宝館や東金堂には多くの国宝が安置されています。
仏像の持つ味わいと迫力を、心ゆくまで楽しむことができます。

 

中金堂の見どころ

※2022年3月現在、中金堂は拝観できません。

高さ 約21m
奥行 23m
36.6m
建立 2018年
寄棟造、本瓦葺

寺の中央に建つ朱色の大きな社殿が「中金堂」
710年に藤原不比等が建てた、お寺の中心となる建物です。

1717年の火災で全焼。仮堂が建てられましたが、本格的な再建には至りませんでした。

2010年に創建1300年を迎えた興福寺は、中金堂の再建に着手します。
2018年に完成、朱色の立派な社殿がよみがえりました。

 

発掘調査・研究成果をいかし、天平時代の建築様式や大きさを忠実に再現。

柱に法相宗の師「三蔵法師」や無著菩薩が描かれた「法相柱(ほっそうちゅう)」が再現されています。
興福寺で礼拝の対象となっています。

また屋根の上にある「鴟尾・しび」は、火除のおまじないであり、雨から屋根を守るもの。
小さく見えますが高さ2m、重さ1トンの大きさです。

大きくて美しい、300年ぶりに復活した金堂は必見です。

 

中金堂の本尊・見どころ

ご本尊:釈迦如来坐像・しゃかにょらいざぞう
像高:約284cm

藤原鎌足(中臣鎌足)が蘇我入鹿を倒したいとの願いを込めて、645年に造立されました。
現在は5代目です。

釈迦如来とは歴史上に唯一存在する仏様。
悟りを開いたゴータマ・シッダールタ(釈迦)がモデル。

あらゆる生き物を苦しみから救い、悟りを開くよう導いてくれる仏様です。

 

中金堂内もう一つの見どころは、釈迦如来坐像を囲うように立つ木造四天王立像(国宝/鎌倉時代)。
鎌倉時代の作品で、運慶(うんけい)が作ったと考えられています。
※運慶…東大寺南大門の金剛力士像で有名な仏像専門の彫刻家。

Two of the Four Heavenly Kings I (nanendō, Kōfuku-ji, Nara).jpg
<a href=”//commons.wikimedia.org/w/index.php?title=Template:Unkei&amp;action=edit&amp;redlink=1″ class=”new” title=”Template:Unkei (page does not exist)”>Template:Unkei</a> – Kōfuku-ji, Nara, パブリック・ドメイン, リンクによる

キリッとして逞しいですね。
鎌倉彫刻の特徴である、力強くありのままを描く、写実的な作風となっています。

高さは2mとかなり大きいです。

 

【国宝】 東金堂の特徴・建築

奥行 14.1m
25.6m
建立 1415年(室町時代)
寄棟造、本瓦葺き

726年聖武天皇が祖母の病気平癒を願い創建されました。
現在は1415年(室町時代)に再建されたものです。

お隣りにある五重塔も室町時代に再建されました。
東金堂と五重塔をセットで写真に撮るのがオススメです。


パンフレットでよく見かけるアングル。

 

建築の特徴

東金堂の全面は「吹き放し」、壁がなく柱のみが立っています。
開放感が感じられますね。

三手先斗栱(みてさきときょう)という立派な組物で作られており
東金堂の格の高さが感じられます。

 

屋根は寄棟造(よせむねづくり)、頂上の棟から4方向に傾いた形状の屋根です。

室町時代に再建された東金堂ですが
「吹き放し・三手先斗栱・寄棟造」と、天平様式の特徴が見られます。

天平文化(奈良時代)の代表建築物、唐招提寺の金堂によく似ているのが分かります。

 

東金堂の本尊・見どころ

ご本尊:銅像 薬師如来坐像・やくしにょらいざぞう
重要文化財 室町時代

人々を災いや病気の苦しみから救う如来様。
日光菩薩や月光菩薩が、薬師如来の脇に控えています。

 

東金堂内には鎌倉時代・平安時代に作られた国宝の数々があります。

その一つが木造四天王立像(国宝/平安時代)
「肉太で重量感が溢れる」との説明どおり、東金堂の四天王立像は見た目がふっくらとしています。

Kofukuji Monastery Jikokuten of Tokondo (306).jpg
Imperial Japanese Commission to the Panama-Pacific International Exposition – Japanese Temples and their Treasures (The Shimbi Shoin 1915), パブリック・ドメイン, リンクによる

むっちりふくよかな広目天さん。

高さと迫力のある中金堂の四天王立像とは対象的です。
ぜひ見比べてみてくださいね。

また「鎌倉時代の天部彫刻の傑作」と言われる木造十二神将立像(国宝/鎌倉時代)も必見です。

 

【国宝 】五重塔の特徴・建築

高さ 50.1m
建立 1426年(室町時代)
五重塔婆、本瓦葺き

実は奈良県内で最も高い建築物なんです。
奈良市内のいろんな場所から見られる、古都奈良のシンボル。

奈良県では興福寺の五重塔より高い建物は建てられません。
最も高い建物がビルのような近代建築ではなく、五重塔であるところに古都奈良のロマンを感じます。

木造の五重塔では、日本で2番目の高さ。
一番高いのは京都にある東寺の五重塔です。

藤原不比等の娘、光明皇后が730年に創建しましたが
何度も火事にあい、現在ある塔は室町時代に(1426年)に再建された6代目です。

夜にはライトアップされ、それが美しいと評判です。

 

建築の特徴

創建された奈良時代の建築様式(三手先斗栱、本瓦葺など)
再建された室町時代の建築様式を合わせた、折衷様式となっています。

五重塔ではありますが、五階建てではありません。
塔の真ん中に心柱が一本立っており、それを囲うように層が積み上がっています。

「積み上げ構造」と呼ばれ、地震に強い作りとして有名です。
※法隆寺の五重塔やスカイツリーも同様のつくり

五重塔の初層には
東側→薬師三尊像
南側→釈迦三尊像
西側→阿弥陀三尊像
北側→弥勒三尊像
が安置されています。

通常非公開ですが、数年に一度のペースで一般公開されています。
生きているうちに一度拝見してみたいですね。

 

【国宝】三重塔

高さ 19.1m
建立 1180年(鎌倉時代)
三重塔婆、本瓦葺き

寺の中心部からやや外れた場所に三重塔は立っています。
北円堂とともに、興福寺最古の建物です。

初層が大きめに作られており、安定感があります。
力強くそびえ立つ五重塔に比べ、三重塔は優美で柔らかい印象です。

中は非公開ですが、毎年7月7日に公開されます。

 

【国宝】北円堂

高さ 約15m
直径 11.7m
建立 1210年(鎌倉時代)
八角円堂、本瓦葺

日本で最も美しい八角形のお堂と言われています。
また興福寺では最も古い建物です。

北円堂は、721年に藤原不比等の一周忌に創建されました。

やや西側の外れに建っていますが、北円堂から平城京を見渡すことができます。
平城京造営に深く関わった藤原不比等の慰霊に最良の地として選ばれた場所です。

現在の北円堂は1210年(鎌倉時代)に再建されたもの。

北円堂内は通常非公開ですが、春の秋の一定期間だけ一般公開されます。

 

北円堂の本尊

本尊:木造 弥勒如来坐像・みろくにょらいざぞう
国宝 鎌倉時代

運慶が一門の仏師と1212年に完成させた像。
「運慶の晩年の名作」と言われています。

 

北円堂の最大の見どころ

木造 無著・世親立像(むじゃく・せしんりゅうぞう)
国宝 鎌倉時代

・日本の肖像彫刻史上最高傑作
・リアリズム彫刻の頂点
と、非常に高い評価がなされている作品です。

運慶が監督のもと、慶派仏師の運助と運賀が担当しました。

無著(むじゃく)世親(せしん)は、4~5世紀頃インドで活躍したお坊さん兄弟。
法相宗の基となる教え「唯識論」を弥勒菩薩から受け継いだ、法相宗の祖です。

 

無著像
Unkei – Kōfuku-ji, Nara, パブリック・ドメイン, リンクによる

こちらがお兄さんの無著(むじゃく)
立派な高僧の佇まいです。夜に見かけたら人間と間違えてしまいそう。

解説によると、無著像は老人の顔で右下を見ています。

 

Seshin (detail, 2).jpg
Unkei – Kōfuku-ji, Nara, パブリック・ドメイン, リンクによる

こちらが弟の世親(せしん)
解説によると、世親さんは壮年の顔で左を向き、遠くを見つめています。

像の目には玉眼という水晶が入っています。
表情も動きも、生きている人間のような生々しさがあります。

今にも動き出しそうな臨場感と、表情や年齢の見事な表現力。
リアリズム彫刻の頂点」「肖像彫刻史上最高傑作」という評価も納得ですね。

 

国宝館

興福寺観光で「国宝館」は絶対に欠かせません!

もともとは僧侶が食事をする食堂(じきどう)が建てられていましたが
昭和34年に耐火用宝物収蔵庫として国宝館が作られました。

2010年のリニューアルによりLEDライトに変更。
仏像がガラスケースなしで直接拝観できるようになりました。

 

中には数え切れないほどの国宝・重要文化財を持つ国宝館です。
全ての見どころを紹介するときりがないので、絞りに絞り尽くした見どころを2点ご紹介します。

1.八部衆像の一つ「阿修羅像」

脱活乾漆造八部衆立像
阿修羅像(あしゅらぞう)
国宝 734年(奈良時代)

国宝館の一番人気、若きプリンス阿修羅です。

阿修羅は八部衆のメンバーです。
八部衆とはインド神話に登場する8種の神々。
仏法や仏教徒を守る神であり、釈迦如来の眷属・けんぞく(部下)です。

 

阿修羅はもともと天界の神でした。
帝釈天に戦いを挑んでは負け、それでも挑み続けていました。

なぜ帝釈天に戦いを挑んだのか?
帝釈天阿修羅の娘(舎脂・しゃし)に強引に手を出したからです。
舎脂に一目惚れをした帝釈天は、なんと凌辱したそう(*_*)

それに怒った(そりゃそうだ)阿修羅帝釈天に戦いを挑むも、力の神帝釈天にかないません。
それでも何度も何度も戦いを挑むうちに、戦闘神となっていきました。

ついに天界を追い出され、修羅道の主となってしまいます。

修羅道に落とされるも、最終的には釈迦の説法を聞き改心。
仏法や仏教徒を守る八部衆の神として、釈迦如来の眷属(部下)として活躍しています。

 

興福寺の八部衆立像は、もともと西金堂のご本尊「釈迦如来像」のまわりに置かれていました。
※西金堂は現在再建されていません。

興福寺は度々火災にあいますが、八部衆が被害に合わなかったのは
一体が15kg程度の軽い像だったためと言われています。

 

阿修羅像の特徴

ASURA Kohfukuji.jpg
小川晴暘 – 東洋美術特輯  日本美術史 第4冊、, 奈良, パブリック・ドメイン, リンクによる

八部衆のうち他の像は甲冑を身に着けていますが、阿修羅像だけは上半身裸。

他の像は一面二臂・いちめんにひ(顔が一面、手が2本)
阿修羅像は三面六臂・さんめんろっぴ(顔が三面、手が6本)です。
見比べてみると面白いですね。

また、戦闘神である阿修羅像は通常怒った顔をしていますが
興福寺のものは幼い顔をしています。

それは、八部衆を作るよう指示した光明皇后(聖武天皇の奥さん)の希望でした。
子供を1歳になる前に亡くした光明皇后は、子どもの顔を思い描いて八部衆を作らせたそうです。

亡くなった自分の子供と重ねていたのだと推測されます。

 

2.銅像仏頭

Buddha Head Yamadadera.JPG
<span lang=”ja”>匿名</span> – 東洋美術  第25号  飛鳥園、奈良, パブリック・ドメイン, リンクによる

銅造仏頭(旧東金堂本尊)
国宝 685年(白鳳時代)

銅造仏頭はもともと山田寺(やまだでら)のものでした
山田寺は685年、現在の奈良県桜井市に建立されたお寺です。

飛鳥時代の豪族、蘇我倉山田 石川麻呂そがのくらやまだの いしかわまろ)が山田寺を建てるよう計画。
※石川麻呂…
蘇我入鹿のいとこ
しかし石川麻呂(いしかわまろ)は天皇への謀反を疑われ、途中で自害してしまいます(649年)。

685年に山田寺が完成。
講堂本尊の薬師三尊像は、自害した石川麻呂のために天武天皇が造りました。

 

見どころの銅造仏頭とは、薬師三尊像中央の「薬師如来」の仏頭です。
なぜ山田寺の仏頭が、興福寺にあるのでしょうか?

理由は興福寺の僧兵が、山田寺の薬師三尊像を奪ったためです。
奪われた薬師三尊像は、東金堂の御本尊となりました。

当時興福寺は平氏により焼討にされ全焼(1180年)。そこから再興すべく造営の真っ最中でした。
再興が進まずしびれを切らした一部の堂衆によって強奪が行われました。
※堂衆…堂塔の管理運営に携わる者 引用:コトバンク

1411年には東金堂が火災にあい、仏頭だけが焼け残ります。
1937年(昭和12年)に発見され、興福寺の至宝として大切にされています。

 

Buddha Head Yamadadera.JPG
<span lang=”ja”>匿名</span> – 東洋美術  第25号  飛鳥園、奈良, パブリック・ドメイン, リンクによる

銅造仏頭は白鳳時代を代表する作品です。

・立体感あるふくよかな顔つき
・若々しい顔、童顔
・下まぶたを水平、上まぶたが弓の形

白鳳時代の仏像の特徴がみられます。

波乱の波をくぐり抜け、私達が直接目にできることは奇跡としか言いようがありません。
時代の激動を感じさせない、涼やかな表情の仏頭を堪能してくださいね。

 

おまけの見どころ

天灯鬼像
Kōben – Kōfuku-ji, Nara, パブリック・ドメイン, リンクによる

ネットの書き込みを見ると【国宝】天燈鬼・龍燈鬼が人気ですね。
可愛くてユーモラスなお姿が魅力的。

※画像は天燈鬼像です。

 

拝観料・営業時間・お問い合わせ

・拝観料 割引

国宝館
大人 700円
高校生 600円
中学生 600円
小学生 300円

東金堂
大人 300円
高校生 200円
中学生 200円
小学生 100円

中金堂
大人 500円
高校生 300円
中学生 300円
小学生 100円
※2022年3月現在、中金堂は拝観できません。

※全て団体割引・身障者割引あり
※最新情報・詳細はこちら(興福寺ホームページ)

・営業時間 定休日

9:00~17:00

定休日 なし

・お問い合わせ

0742-22-7755

※最新情報はこちら(興福寺公式ホームページ)

 

ツアーの紹介

奈良の見どころをバス、タクシーで巡るツアーもおすすめです。

・現地出発のツアーなら「ベルトラ」
奈良 観光ツアー

 

・プランが豊富!ツアーで楽しむなら「クラブツーリズム」
話題の世界遺産や大古の歴史を楽しむ旅!クラブツーリズムの近畿旅行
※右上のメニュー(横棒3本が縦に並んでいるマーク)をクリック。
表示されたページの検索BOXに「興福寺」と入力し検索する方法もあります。

参考図書

記事を書く際に参考にさせて頂いた書籍です。

 

 

関連記事

【奈良・東大寺】歴史・見どころ・仏像 スッキリ解説!アクセス・観光所要時間など。

2022-02-13

【世界遺産・法隆寺】創建の歴史・建築の特徴をまとめて解説!ディープに楽しむ観光ガイド。

2021-11-29

【世界遺産・薬師寺】創建の歴史・建築の特徴をまとめて解説!ディープに楽しむ観光ガイド。

2021-12-05

【世界遺産・唐招提寺】創建の歴史・建築の特徴をまとめて解説!ディープに楽しむ観光ガイド。

2021-12-11

【奈良・興福寺】歴史・見どころ・仏像 すっきり解説!アクセス・観光所要時間など。

2022-01-23

 






コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です