薬師寺と新薬師寺は奈良市内にある有名寺院、一度は関係を疑ったことがあると思います。
さらには「本薬師寺」なるものもあり、謎は深まる一方です。
この記事では薬師寺、新薬師寺、さらには本薬師寺の違いと関係を解説します。
薬師寺と新薬師寺の違いと関係
結論から言うと、薬師寺と新薬師寺に関係はありません。
それぞれ誰が、なぜ建てたのか解説します。
薬師寺 680年
薬師寺を建てたのは天武天皇です。
天武天皇は皇后、鵜野讃良(うののさらら)の病気が治るよう願い、お寺を建てることにしました。
しかし建設途中で天武天皇が亡くなってしまい、完成したのは文武天皇の代です。
ちなみに鵜野讃良(うののさらら)は後の持統天皇です。
新薬師寺 747年
新薬師寺を建てたのは光明皇后(こうみょうこうごう)、聖武天皇の皇后(妻)です。
聖武天皇と言えば奈良の大仏建立で有名な方ですよね。
苦労が重なった聖武天皇は目の病気にかかってしまいます。光明皇后は「夫の病気が治りますように」と願い込めて新薬師寺を建てました。
薬師寺と新薬師寺
薬師寺とは、薬師如来を本尊とするお寺です。
薬師如来は心や身体の病気から人々を守る、いわばお医者さんのような仏様です。
薬師寺は誰からの病気が治るよう願い建てられる事が多く、薬師寺も新薬師寺も同じです。両方とも薬師如来をご本尊として祀っていますが、2つのお寺に何か関係があるわけではありません。
では光明皇后(こうみょうこうごう)が建てたお寺の名はなぜ「新薬師寺」になったのか?
聖武天皇の病気平癒を願って霊験あらたかな薬師如来を祀った
※霊験あらたか…神仏の不思議な効果、ご利益が尋常ではない
↓
霊験新たかな薬師如来
↓
「新薬師寺」となりました。
「新登場のニュー薬師寺!」ということではなく、ご利益が深いことを表す「新」でした。
本薬師寺とは
混乱しそうですが、本薬師寺(もとやくしじ)なるものも奈良にはあります。
元薬師寺とも書かれ、その名の通りかつて薬師寺だったお寺です。
薬師寺は藤原京の時代に建てられました。その後、都は平城京に移ります(710年)。
薬師寺も移転し、現在の場所(西の京)に移転しました。
藤原京の薬師寺から約20キロ北の位置です。
整理すると…
藤原京に建てた最初の薬師寺→本薬師寺
平城京に移転した薬師寺→薬師寺
ということになります。
平城京に遷都後、本薬師寺は平安時代の中頃まで存続していました。その後廃寺となる。
現在は「本薬師寺跡」として特別史跡に指定されています。
金堂や塔の礎石などが残っており、歴史が楽しめる観光地となっています。
※礎石…建物の柱などを支える石
春には菜の花やさくら、夏にはホテイアオイが堪能できるビュースポットでもあります。
薬師寺まとめ
3つの薬師寺をまとめると…
天武天皇が建てた薬師寺
藤原京の薬師寺→本薬師寺
平城京に移転した薬師寺→薬師寺
光明皇后が建てた薬師寺→新薬師寺
現在はそれぞれ立派な観光地となっています。
一度観光してみることをおすすめします。
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