唐招提寺の見どころと唐招提寺の仏像ついて簡単に解説します。
見どころをしっかり把握して、唐招提寺観光を楽しむための予備知識になれば幸いです。
歴史・建築様式の解説はこちら
唐招提寺の歴史を簡単にまとめる
唐招提寺は759年、鑑真(がんじん)によって創建されました。
鑑真は唐(中国)出身の高僧です。
・創建された理由・経緯
753年に来日した鑑真は、東大寺でしばらく過ごします。
出家者が正式な僧になるために、仏教の戒律を伝える仕事を担っていました。
759年、鑑真は新田部親王(にいたべしんのう)から以前住んでいた土地を譲り受けます。
※新田部親王(にいたべしんのう)…天武天皇の息子
そこに戒律を学び身につけるための道場を作ったことが、唐招提寺の始まりです。
世界遺産「唐招提寺」の見どころ
奈良時代の貴重な建物
唐招提寺には奈良時代の建物が現存しています。
改修されていますが、創建当時の建築様式が分かる大変な貴重なものです。
鑑真の歴史
唐招提寺を語る上で絶対に欠かせないの鑑真が(がんじん)です。
知っているとより観光が楽しめます。
「聞いたことはあるけど、何をした人か分からない」という方は、鑑真の歴史を簡単にまとめたので御覧ください。
By Original: 俊武Later versions: Garam – 『世界史年表・地図』,
CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=93190959
鑑真は唐の揚州(ようしゅう)で生まれます。
14歳で出家、修行後、揚州の大明寺(だいめいじ)の住職となりました。
55歳になったある日、二人の僧侶が鑑真のもとを訪れ「導師を日本に遣わせてほしい」と懇願されます。
当時日本では、重税逃れのため僧侶になる農民が急増。
仏教や国の風紀が乱れていました。
そこで天皇は、導師が僧の心得・決まり(戎・かい)を伝え、守る事を誓う授戒(じゅかい)制度を作ることに。
まずは唐から授戒ができる導師を呼び寄せることとなったのです。
二人の僧侶に依頼された鑑真は了承し、日本へ行くことを決意。
しかし日本への航海は困難にみまわれ、たびたび失敗。仲間を失い、鑑真は失明してしまいました。
753年、6度目にして日本に到着!
東大寺は授戒(じゅかい)を行い、日本の授戒制度を整えます。
僧侶もどきはいなくなり、風紀は劇的に改善しました。
その後、戒律を学び身につけるための道場として唐招提寺を建立。
鑑真は亡くなるまで、日本仏教のために尽力しました。
簡単にまとめましたが、鑑真は命をかけて来日。
授戒により日本と仏教の窮地を救って下さいました。
唐招提寺では鑑真の痕跡をたどってみてくださいね。
見どころを簡単解説付きで紹介!
奈良時代の金堂
まず出迎えてくれるのは、立派な金堂です。
高さ17.7m、幅28m。奈良時代に建てられました。
こちらの金堂は、唯一現存する奈良時代の「金堂」なんです!
築1200年を超える貴重な建物。
何度か改修されましたが、部材は創建当時のものが使われています。
屋根の上にシャチホコのような「鴟尾・しび」も見どころ。
創建時のものが使われていましたが、平成の大修理で取り替え。現在は新宝蔵にあり見学可能です。
見どころは正面の柱
金堂の正面は、壁のない状態で丸い柱が8本立っています。
柱は法隆寺と同じ「エンタシスの柱」です。柱の中央が太く作られており、下から見上げた時に真っ直ぐ安定して見える視覚効果が得られます。
吹き放しの空間は開放感がありますね。
金堂内の仏様を簡単解説
OGAWA SEIYOU – JYODAI NO TYOUKOKU (ANCIENT JAPAN SCULTPURES), ASAHI-SHINBUN Co., 1942,OOAKA, Japan,
パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10588229による
ご本尊:盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)
国宝 奈良時代
像高は約3m、光背は5mを超えます。
座っている像が3mを超えるなんて…本当に大きいですね。
光背には千人の仏が並んでいましたが、現在は862体が残っています。
脱活乾漆像(だっかんかんしつぞう)で作られています。
粘土で作った原型に麻布(あさぬの)を漆で貼り重ねて造る方法。
手間暇のかかる方法ですが、奈良時代によく用いられました。
本尊の右:薬師如来立像
国宝 平安時代
本尊の右側には薬師寺立像があります。
像高3.36m
現存する薬師如来立像では最大のものです。
NEIRAKU-HAKKO-SYO – NEIRAKU-HAKKO-SYO ed., NEIRAKU 13th vol., 19, August, 1930,
パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10697897による
本尊の左:千手観音立像
国宝 奈良時代
本尊の左には千手観音立像(奈良時代/国宝)がいらっしゃいます。
像高5.35m、なんと5mを超えました!
千手観音は千の手がある観音様。
唐招提寺の千手観音様は、本当に千本近くの手があるんです!
正確には953本の手(大手42本、小手911本)ですが、かつては1000本あったと考えられています。
安置されている仏様の謎
盧舎那仏(るしゃなぶつ)、薬師如来、千手観音の組み合わせは、大変珍しく他に例が無いそうです。
なぜこの御三体なのか?
長い間謎とされてきましたが、一説をご紹介します。
鑑真和上が来日後、聖武天皇の命により戒壇院が3箇所に作られました(天下三戒壇)
・奈良県の東大寺
・栃木県の下野薬師寺(しもつけやくしじ)
・大宰府の観世音寺
それぞれのお寺の御本尊が、唐招提寺に祀られているのではないか?と言われています。
東大寺→盧舎那仏
下野薬師寺→薬師如来
観世音寺→千手観音
日本の授戒は鑑真和上のおかげで整いました。
その業績に敬意を示し、ゆかりのある御三体を唐招提寺にお祀りしたのかもしれませんね。
戒壇
こちらが「戒壇・かいだん」、石段のみが鎌倉時代のもの。
戒壇とは正式な僧になるための儀式、授戒が行われる場所です。鑑真は授戒により日本仏教を救い、正しく戒律を伝えることで立派な僧を輩出しました。
鑑真和上の日本や仏教への思いが感じられる場所です。
【国宝】講堂
画像左側が「講堂」、画像正面が「鼓楼・ころう」です。
※右側は金堂です。
講堂は平城宮にあった建物を譲り受け、寺院用に改造されてます。
唯一現存する天平時代(奈良時代)の宮殿として大変貴重です。
開山堂・御影堂
こちらが「開山堂・かいさんどう」。
鑑真和上坐像(国宝)を安置するため、1881年(明治14年)に移築されたものです
1964年(昭和39年)鑑真和上坐像は御影堂へ移動となり、現在は鑑真和上お身代わり像がいらっしゃいます。
不明 – Tōshōdai-ji, Nara, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=63206688による
御影堂(みえいどう)は、開山堂から道を挟んだ向かいにあります。鑑真和上坐像(国宝)がいらっしゃるのですが通常非公開。毎年6月に3日間公開されます。
奇跡的にタイミングが合えば本物をご覧ください。
鑑真和上御廟(ごびょう)
鑑真和上のお墓です。
鑑真和上のふるさと揚州から贈られた、瓊花(けいか)が植えてあり
初夏には白い花が満開になります。
道中の道は整備され、緑が青々と茂っています。
とっても爽やかな散歩コースです。
新宝蔵
1970年(昭和45年)に造られた新宝蔵。
毎年春と秋に公開されます。
薬師如来立像(奈良時代/国宝)
獅子吼菩薩立像 ししくぼさつりゅうぞう(奈良時代/国宝)
衆宝王菩薩立像 しゅうほうおうぼさつりゅうぞう(奈良時代/国宝)
など、唐招提寺が持つ多くの文化財が保存され、一部が公開されています。
頭や両手先のない姿が「唐招提寺のトルソー」として著名な、如来形立像 にょらいぎょうりゅうぞう(奈良時代/重要文化財)
金堂に飾られていた鴟尾しび(奈良時代/国宝)
が、主な見どころです。
【国宝】宝蔵・経蔵
※画像は経蔵(きょうぞう)
奈良時代に建てられた宝蔵(ほうぞう)と経蔵(きょうぞう)
北側が宝蔵、南側が経蔵です。
正倉院で有名な校倉造(あぜくらづくり)で建てられています。
なんと奈良時代に作られた日本最古の校倉です。
観光ルート解説記事
ツアー
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表示されたページの検索BOXに「唐招提寺」と入力し検索する方法もあります。
拝観料・営業時間・定休日
・拝観料 割引
大人 1,000円
高校生 400円
中学生 400円
小学生 200円
団体割引あり
※詳細はこちら(唐招提寺ホームページ)
・営業時間 定休日
8:30~17:00
定休日 なし
施設情報・お問い合わせ
住所:奈良市五条町13-46
施設情報(トイレなど)
売店・トイレ・休憩所あり
お問い合わせ
0742-33-7900
御朱印
料金(納経料) 300円
売店の近くに、朱印帳がありました。
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