今回ご紹介するのは、奈良県奈良市にある人気の寺院、東大寺南大門(なんだいもん)です。
南大門の歴史、見どころ・特徴を知って、南大門を楽しみましょう。
【国宝】東大寺南大門の歴史・建てた人
こちらが東大寺の南大門です。
初めて見た時、あまりの大きさにびっくりした方も多いのではないでしょうか?
東大寺南大門は日本国内でも最大級の大きさを誇る門です。
高さ25.4m。7階~8階建てのビルと同じ位の高さです。
今では珍しい高さではありませんが、当時は大きな建物だったに違いありません。
現在の南大門は、鎌倉時代に建てられた2代目です。
初代の門は、台風により倒壊してしまいました(962年)。
1180年には平氏の焼討にあい、東大寺の主要な建物は全焼してしまいました。そして「すぐに東大寺を復興せよ」との声が上がります。
東大寺再建の課題
南大門を含めた東大寺の復興をしたいのは山々ですが、課題が山のようにありました。
課題①お金がない(;´∀`)
東大寺が焼討にあった5年後に、平家は滅亡しています。つまり今は源氏と平氏は戦いの最中。
戦ってお金がかかるんですよね…そんなこんなで財政が厳しいです。
そのうえ京都では大飢饉がおこりました。
民衆は納税どころではありません。さらに財政が厳しくなります。
課題②資材が不足している(;´∀`)
お金がない上に、木材などの材料が不足しています。
課題③時間がない(;´∀`)
心の拠り所の東大寺が平氏の焼討によって焼失。
その後、天皇や平清盛が次々と亡くなります。
人々は「仏様が怒っている。バチが当たった。」と考えました。
このままだと世の中が不安定になり、もっと悪いことが起こるに違いない。
そうなる前に、早く東大寺を再建してくれ~!!!
天皇も、民衆もそう考えました。
国のために民衆のために東大寺の復興は急務でした。
課題④とは言え、丈夫なものを作りたい
初代南大門は台風で倒壊。木造建築は台風・落雷・地震でよく倒壊していました。
天下の東大寺が災害の度に倒壊しては、人々も心配になりますし、その度に「倒壊→再建」を繰り返していては負担が大きすぎます。
せっかく建てるなら、丈夫なものを建てたい。
でも時間もお金もない~
どうしたらいいの???
奇跡の僧侶、重源上人現る
そんなミッションインポッシブルな任務に抜擢されたのが、重源上人(ちょうげんしょうにん)です。
東大寺復興の責任者として大勧進職に任命されました。
重源上人とは、61歳の僧侶。
「宋への留学経験あり・アショーカ王寺舎利殿建立に携わる・仏教に精通している人気の僧侶」とこれ以上に無いくらいピッタリな人材でした。
まず重源は、全国をまわって人々や有力者から寄付金を募りました。
(寄付を募るには人々に信頼と人気の僧侶が適任)
そして宋の建築様式を取り入れ、時間や材料がない中、大仏やお寺の再建を行います。
(舎利殿建立の経験が生かされる)
再建は進み、1192年には大仏殿が完成。
1203年には仁王像がたち、現在の南大門となりました。
再建から約800年経ちますが南大門は現役です。
地震などの自然災害にも耐え、今では東大寺で最も古い建築物となっています。
奇跡の僧侶重源上人(ちょうげんしょうにん)は、課題をすべて解決し、与えられたミッションを完璧に遂行したのです。
私達が鎌倉時代の南大門が見られるのは、重源さんのお陰ですね。
そして気になるのが、どうやって4つ課題を解決したのか?ということ。
大変な課題4つ
①お金がない
②資材が不足している
③時間がない
④とは言え、丈夫なものを作りたい
「①お金がない」は重源さんが頑張って寄付を集めました。
「②③④の課題」については、宋のやり方を取り入れることで解決しました。
秘密は「大仏様」と言われる建築様式にあります。
※「大仏様」と書いて「だいぶつよう」と読みます。「だいぶつさま」だと大仏を丁寧に呼ぶ事になります。
次は南大門の基本情報と、素晴らしい建築様式「大仏様」について解説します。
「大仏様」の建築様式を解説!
南大門の基本情報(大きさ、特徴など)
東大寺南大門(国宝/鎌倉時代)
高さ 25.46m
初代の門と同じ高さです。
屋根 本瓦葺(ほんがわらぶき)
平瓦と丸瓦を交互に並べる。神社仏閣でよく見られます。
屋根が上下に2つありますね。
2階建ての2重門かな?と思いがちですが、2階建てではありません。
1階の屋根は飾りの様なもので、実際は一重門です。
上下の屋根の大きさは同じです。
使われた材木はひのきです。
周防(現在の山口県)のひのきを利用。
20mを超える長さの木を運ぶのも大変だったと思いますが、ひのきは耐久性・耐水性が高い木材として有名で、世界最高の建築材と言われています。
ひのきで建てたことは、強度が保たれた理由の一つです。
建築様式「大仏様」の解説
「大仏様・だいぶつよう」とは宋から取り入れた建築様式です。
巨大な木造建築を建てるのに適した方法と言われており、材木を節約しつつ、強度のある建物が建てられます。
重源は宋で建築も学んでいました。
これから大仏様の特徴と、南大門の強さの秘密を3点ご説明します。
特徴① 横木(貫)が多く使われた
南大門の中に入り天井を見あげると、画像のようになっています。
天井に真っ直ぐ伸びる太い柱が分かりますでしょうか?
高さ21mの柱が18本たっています。
柱は一本の木で作られていて、地面から天井をつないでいます(通し柱)。
縦に伸びる太い柱に横木を貫通させて、強度をアップしています。
柱と柱を水平につなぐ横木を貫(ぬき)と言います。
一つの柱に貫が何本も貫通していますね。
貫を多く使うことで、揺れに強い構造となっています。
ちなみに、こんなに中の構造が丸見えなのは珍しいかと思います。
建物を構成する材(柱や横木)が装飾品となっているのも「大仏様」の特徴です。
天井を無くし、一番上には化粧垂木(たるき)という屋根の真下にある木材が見えます。
この画像を見ても、横木(貫)が多く使われているのが分かりますね。
特徴② 通し肘木
軒(のき)を支える部材を組物(くみもの)といいます。
※軒(のき)…屋根の壁からはみ出した部分、お寺や神社は軒が長い
建物前方に突き出した組物は肘木(ひじき)というパーツで、緑色で番号がふってあるところですね。
南大門の場合6段の肘木があります。それを六手先(むてさき)と言います。
六手先の組物が大きな屋根を支えています。
六手先はかなり多い方で、他のお寺だと二手先(ふたてさき)、三手先(みてさき)をよく見かけます。
六手先の組物を柱に挿す=挿肘木(さしひじき)
肘木同士を横木で固定=通し肘木(とおしひじき)
六手先の肘木を柱に挿したり、横木で固定することにより強度をアップしています。
これも大仏様(だいぶつよう)の特徴です。
特徴③遊離尾垂木・角扇垂木で軒を支える
南大門の屋根は、本瓦葺(ほんがわらぶき)と言う「平瓦と丸瓦を交互に並べる」葺き方をします。
見栄えは立派ですが、重いのが難点。
そのため屋根をしっかり支える必要があります。
屋根を支えているのは垂木(たるき)というパーツになります。
屋根の裏側にある、細長い木材は全て垂木です。
遊離尾垂木(ゆうりおだるき)とは、組物と組物の間にある垂木(たるき)のことです。
角扇垂木(すみおうぎたるき)とは、角にある扇の形のように配置した垂木(たるき)のことです。
こちらは扇形ではない、通常の垂木の置き方です。
見比べてみると違いが分かりやすいと思います。
大仏様では垂木だけでなく、遊離尾垂木や角扇垂木を置くことで強度上げています。
大仏様はなぜ流行らなかった?
大仏様(だいぶつよう)の説明は以上です。
主な3点に絞って説明しましたが、細かいところまで含めるとまだまだ特徴があります。
まとめると
大仏様とは木材を節約しつつ、強くて立派な建物が作れる建築様式です。
しかも時間も費用も抑えられる優れもの。
大仏様を取り入れることで
②資材が不足している
③時間がない
④とは言え、丈夫なものを作りたい
以上3つの課題を克服。バリバリの木造建築なのに地震に強い!立派な建物を作りました。
こんなに素晴らしい建築様式を取り入れた重源さんは、やっぱり天才ですね。
こんなに素晴らしい建築様式ですが、残念ながら日本では流行しませんでした。
とても合理的な建築ですが、見た目にやや無骨さが残ってしまうんですよね。
ゴツゴツした感じ?ちょっと荒々しい、力強さを感じる南大門。
柔らかな美しいものを愛する日本人には合わなかったようです。
東大寺の再建が終了するとともに、大仏様は使われなくなりました。
現存する大仏様の建物は多くありません。
その中でも南大門は純粋な大仏様が見られる貴重な建造物となっています。
南大門の見どころは【国宝】金剛力士像!
金剛力士像(仁王像)の特徴
1203年(鎌倉時代)に作られた木製の金剛力士像です。
仁王像(におうぞう)とも呼ばれます。
お寺の門に立ち、外敵から寺院を守ってくれる守護神です。
煩悩を破ると言われる武器「金剛杵(こんごうしょ)」を手にもち、仁王立ちしてコチラを見つめて(睨んで?)います。
口を開けている阿形(あぎょう)
像高 8.4m
「阿(あ)」は物事の始まりのこと。
口を閉じている吽形(うんぎょう)
像高 8.4m
「吽(うん)」は物事の終わりのこと。
2体で「宇宙の始まりと終わり=万物」を表しているそうです。
金剛力士像は木造です。
南大門と同様、周防(山口県)から調達したひのきで作られています。
パーツに分けて作成し、最後一つにまとめる方法(寄木造り・よせぎづくり)で製作されています。パーツの数は一体約3000!
南大門の金剛力士像について幾つか謎があります。
金剛力士像の謎①
一般的な仁王像と左右が逆
一般的な仁王像の配置は…
吽形(口を閉じた像)→左側
阿形(口を開いた像)→右側
東大寺南大門の仁王像は逆に置かれているそうです。
金剛力士像の謎②
一般的な金剛力士像は門の外を向いています。
※法隆寺の金剛力士像。コチラの仁王像も迫力あり。
こんな感じで、門の正面に金剛力士像がいますよね。
しかし東大寺南大門の場合、門の正面にはいません。
門に入って、金剛力士像にお会いすることができます。
2体に見つめられ(睨まれ?)ながら門をくぐるのもなかなか乙ですが
なぜこの様な配置になったのか謎です。
金剛力士像の作者は運慶!
金剛力士像の作者と言えば、運慶(うんけい)が有名ですね。
正確には運慶・湛慶・快慶・定覚と小仏師12名の、慶派仏師によって作成されました。
※仏師…仏像を作る職人
あの大きくて立派な金剛力士像を、なんと69日で製作。
3000のパーツを持つ像が2体=約6000パーツ。
60日で作るとすると、6000÷60=1日100パーツ作る計算になります。
ちょっと考えられません(^_^;)
大変豪快な像ではありますが、よく見ると細部まで丁寧に作り込まれているんです。
筋肉の質感とか、衣の動きとか写実性が凄まじい。
運慶の「筋肉美を表現する天才」との評判も、金剛力士像を見ると納得です。
鎌倉彫刻の傑作と称される金剛力士像。
お顔はちょっと(いや、かなり)怖いですが、芸術作品としては秀逸なのでじっくり鑑賞してくださいね。
石獅子像(狛犬?)
東大寺大仏殿方向から見た南大門です。
門の左右に狛犬がぽつんとたっているのが見えますか~??
正確には石獅子像と言います。
1196年、宋の石工の六郎さんが製作しました。
石も宋から買い付けたそうです。
右側
石獅子像(重要文化財)
像高180.5cm
左側
石獅子像(重要文化財)
160cm
もともと大仏殿の中門に置かれてたものが、室町時代に南大門へ移動しました。
狛犬は片方が口を開けて、片方が口を閉じますが、南大門の狛犬は両方口を開けています。
拝観料・営業時間・お問い合わせ
東大寺拝観料
拝観料が必要な施設
大仏殿・法華堂(三月堂)・戒壇堂・千手堂・東大寺ミュージアム
※各施設でそれぞれ拝観料が必要です。
拝観料
大人 600円
高校生 600円
中学生 600円
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大人 1000円
小学生 400円
団体割引・障害者割引など
→詳細はこちら(東大寺ホームページ)
東大寺の営業時間
4月~10月
大仏殿
7:30~17:30
法華堂(三月堂)・千手堂
8:30~16:00
東大寺ミュージアム
9:30~17:30
(最終入館17:00)
11月~3月
大仏殿
8:00~17:00
法華堂(三月堂)・千手堂
8:30~16:00
東大寺ミュージアム
9:30~17:00
(最終入館16:30)
※南大門は24時間、無料で拝観できます。
お問い合わせ
東大寺事務所
0742-22-5511
住所:奈良県奈良市雑司町406-1
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だいたい東大寺ほど大きなお寺を再建するのにいくら掛かると思ってるんだ~!